モーガン警部 「モーガン警部」はアメリカの連続テレビドラマで、1956年にシンジケーション局で1958年 まで放映され、日本では、アメリカでの放映終了後の1958年9月〜1961年9月まで日本テレ ビでモノクロ・30分ものとして全146回を放送し人気番組となりました。 アメリカの放映の時よりも、日本での放映の時のほうが人気が高く、これはモーガンの声を担当した 声優・若山弦蔵の深い重厚な声の吹き替え効果によるものと言われています。
み、翌年からはTBSテレビで「ローン・レンジャー」と日本テレビの「モーガン警部」でテレビ初 レギュラー。それまではラジオで悪役ばかりでしたが、この“正義の味方”を担当した途端ラジオか ら来る役もみな良い役ばかりになったそうです。またその後、主役がどんどん来るきっかけになった のも、このテレビドラマのレギュラーによる影響だったそうです。 若山弦蔵の青年時代は、自分の声がコンプレックスでそれを克服しようと高校2年のとき札幌NHK の放送劇団に入り、尚且つ21、2歳の頃には学芸大学の先生に弟子入りし声楽の勉強を3年間した そうですが共に成果は現れず、また講師からの評価は散々だったようで挫折を経験。しかしその個性 をプラス思考にし、その後日本を代表する声優の一人となりました。
”だったそうです。この生放送時代は、前日に4時間リハーサルを行い本番までに3回は映像を見た そうです。本番はアナウンス・ブースのような狭いスペースにTVモニターが置かれ、そこにマイク が一本。今はヘッドホンを全員付けますが、その頃は、まだイヤホンで、しかも3つぐらいしかイヤ ホンが無く、出演者の数には到底足りなかったそうです。 若山弦蔵はイヤホンの取り合いを嫌いイヤホンを使わず、全て自分の目で見て吹き替えを行ったそう で、その為「アドリブの技術が身に付いた」と後日談で語っています。 また、いろいろなドラマの主役の声を勤めた関係で若山弦蔵はその俳優にも対面しているようです。 《 以下、若山弦蔵談 》 「モーガン警部」や「アイアンサイド」にも会ったし、「保安官ワイアット・アープ」のヒュー・オ ブライエンとも会った。「バークにまかせろ」のジーン・バークにも会った。もちろん、リー・マー ヴィンも。連中がね、みんな僕の声のことを「低い声」とは言わないんですよ。「深い声」って言っ てくれるのが、すごいうれしくてね。“deep voice”ってのは、いい言葉だよね(笑)。「スパイ大 作戦」のピーター・グレイヴスなんてね「僕の顔で若山さんの声があれば」なんてこと言うんだよね (笑)。 テレビドラマ「モーガン警部」は、モーガンがコチーズ郡の郡保安官時代の“シェリフ・オブ・コチ ーズ”とツーソンでの連邦保安官時代の“USマーシャル”の二部作となってます。
がさまざま事件をパトロールカーや馬を駆逐し捜査をおこない、町の治安や人々の平和を守り活躍す る現代版西部劇です。
マードック/フランク・ファーガソン、他
映画「モーガン警部と謎の男」(関口秀雄監督)に出演し鶴田浩二と共演しました。 |