河童の三平

 

   河童の三平

「河童の三平」は「ゲゲゲの鬼太郎」に次ぐ水木しげるの代表作で、やはり始めは紙芝居として作られ

たもので、その後、貸本出版社の兎月書房から1961年〜1962年「河童の三平」の刊行を開始し

、そして月刊漫画雑誌「ぼくら」に1966年1月号〜7月号まで、最初の部分を改作した「カッパの

三平」を掲載。「週刊少年サンデー」には、新たな内容が追加された「河童の三平」を1968年〜

1969年にかけて連載しました。

小学館の「小学一年生」には1993年〜1994年「カッパの三平」が、新規オリジナル内容で掲載

されています。


貸本版「河童の三平」:第1話 河童の国、第2話 水泳大会と死神、第3話 父かえる、第4話 カッパ

泳法と十人の小人、第5話 大根畠の珍事、第6話 魔女花子、第7話 猫町奇談、第8話 完結編。


その後、その漫画を原作として特撮テレビドラマやアニメーション映画が制作されています。


【内容】長野県の山奥で暮らす三平少年は、顔がそっくりな河童のかん平と友達になり、親友の狸や命

を狙う死神などと色々な冒険をします。また小人が出てきたり死神の友人のキツネや魔女の花子も登場

しユーモラスでユートピア願望が込められた物語です。


水木しげるの貸本時代の生活は裕福とは言えず、かなりの貧乏を経験しており、あまりの貧しさに、訪

れた税務署員は「こんなに収入が少ないワケがないでしょう?」と疑ったが、水木は質札の束を突きつ

け「われわれの生活が、キサマらにわかるか!」と怒って追い返したと云ういきさつが残っています。

その生活から開放されたのは、1966年に水木プロダクジョンを立ち上げてからで、初めてまともな

雑誌連載の原稿料が入るようになってからです。

1966年から連載した「カッパの三平」(月刊ぼくら)や「ゲゲゲの鬼太郎」(週刊少年マガジン)

の連載が軌道に乗って、それまでの貧乏生活で質屋に入れていた物品は質札3p分にもなっていたそう

ですが雑誌連載の原稿料ですべて返済し、質流れになることなく取り戻すことができたそうです。

ただ、最初に質屋に入れた背広は、10年経って変形していたので外につるして置いたら、ドロボウに

盗まれてしまったということです。


また、1966年から“妖怪画”の発表を始め「日本妖怪大全」を経て「水木しげる妖怪画集」を刊行

。その後も「妖怪図鑑」類を多数執筆しており、1980年代には「水木しげるの妖怪事典 正・続」

「水木しげるの世界妖怪事典」などを発表。1992年には「カラー版 妖怪画談」を刊行して話題と

なり、1998年からは1,600点以上の妖怪画を収録した「妖鬼化」シリーズを発刊しています。

(フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より説明文一部抜粋)


上記掲載の「河童の三平」のめんこは、昭和30年代より新しいと思われますが、あえて「ゲゲゲの鬼

太郎」の続編コーナーとして掲載しました。

次に、水木しげるの“妖怪めんこ”も掲載しましたのでご覧下さい。

 

水木の妖怪

 

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