エイトマン(8マン)

 

 

 

   エイトマン(8マン)

「エイトマン」は、平井和正原作、桑田次郎作画により1963年5月に講談社の「週刊少年マガジン」で

連載が始まり、その後、同作品を元にテレビアニメとして1963年11月〜1964年12月まで全56

回TBS系列で放映され、最高視聴率35.9%を記録し人気番組となりました。


当初の「週刊少年マガジン」での漫画タイトルは「8マン」でしたが、テレビ放映にあたっては8チャンネ

ルでなかった為、数字の8をやめ、カタカナのエイトに変更したとの話が残っています。


同じ年の1963年1月「鉄腕アトム」、1963年10月「鉄人28号」が共にフジテレビ(8チャンネ

ル)で放映が始まり、「エイトマン」(6チャンネル)はそれに続くテレビアニメで、昭和30年代のロボ

ットアニメ放送の幕開けとなりました。


エイトマンのデザインは、桑田次郎が3種類ほど試作し、少年マガジンの編集部に提出したところ、編集部

は小学校で子供の意見を聞き、その結果、別々のエイトマンの顔と体をつなぎ合わせて完成したそうです。


「エイトマン」の海外輸出は
、アメリカのABCフィルムズが放映権を取得し、1964年から「The Eigh

th Man」の題名で、ネットワークに乗らない番組販売の形で放送されたそうですが、この時の契約内容は、

ABCフィルムズが放映権だけを取得するのではなく、「エイトマン」のフィルムのSubsidiary Rights(

付属権利)をまるごとABCに譲渡する契約だったことが後になって分かったそうです。英文の契約書をあ

まり良く理解せず契約したのが原因でしたが、この頃は、日本では誰も何も分かっていなかったようです。

しかし、このSubsidiary RightsのなかにMerchandising Rightsという項目があり、フィルムの中に入って

いるキャラクター、ストーリー、プロット、アイディア、それについて販売する権利が書かれてあったそう

で、それら全てが相手側に渡ってしまうことになってしまいました。この時代は「マーチャンダイジング」

という考え方自体が日本にはなかったようです。

この契約事故でMerchandising Rightsの概念が初めて日本のテレビ局に持ち込まれ、そして「商品化権」と

邦訳されることになったそうです。


ちなみに、初の国産テレビアニメがアメリカに輸出されたのは
「鉄腕アトム」が最初ですが、このときの契

約は「エイトマン」とは違ってました。

「エイトマン」(白黒アニメ版)の権利は、今でも戻ってきませんが、「鉄腕アトム」についてはNBC局

に売ったといっても期限を7年と限定したそうです。契約交渉にあたった方が凄腕中の凄腕だったおかげで

、丸売りという今となっては屈辱的な契約はせず対等の条件でまとめたそうです。

いづれにしても、この時の経験が「商品化権」という存在に気づかされ、ビジネス契約を確立する切っ掛け

となって新しい時代へと移って行くことになりました。


<ストーリー> 警視庁捜査一課の敏腕青年刑事・東八郎は、犯罪者の凶弾に倒れるが、外国で軍事ロボットを

研究していた谷博士の手により、生前の記憶を移植したスーパーロボットに生まれ変わる。 私立探偵を開業し

た彼は、同時に捜査一課8人目の刑事エイトマンとして活躍する。(ストーリーTBSオンデマンドより)


映画では、1964年7月にテレビアニメの劇場用編集版「エイトマン ロボット007/光線銃レーザー」

が「東映まんが大行進」の一編として上映されました。

 

戻 る
inserted by FC2 system