お笑い三人組

 

  お笑い三人組

1956年11月〜1966年3月まで放送された「お笑い三人組」は、テレビ初期を代表する公開コメディーで、

猫八、貞鳳、小金馬の3人は、この番組で全国区の知名度となり、大人から子供まで顔と名前が知られる

人気芸人となりました。

この3人は、声帯模写・講談・落語とジャンルは違いますが駆け出しの頃からの友人で、1953年2月1日、

NHKがテレビ放送を開始し、同年8月28日には民放第1号の日本テレビ放送網が開局。当時、噺家・二ツ

目の三遊亭小金馬は、この数年前からNHKの試験放送に出ており「テレビとは何か」を体で知っていたそう

です。本放送開始後は各局からの出演依頼があり、そうした中、日本テレビ「お昼の演芸」の司会役三遊亭

歌奴(現・三代目円歌)が巡業に行くことになり、小金馬にピンチヒッターで司会の依頼があって数回出演し

ているうちに、小金馬も地方の仕事に行くことになり、代わりに江戸家猫八と一龍斎貞鳳を紹介したところ、

司会が4人になってしまったそうです。テレビ局から「君たち面白いね、ローテーションを組もうよ」と、いつの

間にかセットでの出演が増えていったそうです。


1954年8月日本テレビ開局1周年の園遊会が催されることになり、各界からの招待客が祝賀番組の能楽

中継を見ながら飲むという趣向だったそうですが、会の直前、機材の関係で中継の時に30分間の空白が

できることがわかり、そこで声が掛かったのが演芸番組の常連だった小金馬、歌奴、猫八、貞鳳の4人組。

本番まで1週間もなく、4人で知恵を絞りプロレスのコントを作ったそうです。歌奴と小金馬がレスラー役で、

猫八がレフェリー、貞鳳はアナウンサー。リング上で、小金馬が歌奴に首を絞められると、貞鳳がリングに

駆け上がって「ご気分はどうですか?」などとお笑いコントを披露したところ、これが大いに受けて「すぐに、

あの4人にレギュラー番組を持たせろ」と正力松太郎の社長命令が下ったそうです。

歌奴だけは旅興行のスケジュールが決まっていたため抜ける事になりましたが、翌週3人での新番組「青春

カレンダー」が始まり、これが後の人気番組「お笑い三人組」のきっかけになったそうです。


日本テレビの「青春カレンダー」は社長から「君達の好きなことをやれ」とのことで、西部劇、時代劇、怪談と

毎回趣向を変えてのドタバタコント、最初は台本すらなかったそうですが、すぐにまだ大学生という若い放送

作家が「永六輔です。3人組面白いですねえ」と応援にきたそうです。そのうち視聴率がどんどん上がり、そ

れを見ていたNHK出入りの作家たちが「彼らはNHKで育ったようなもの、NTVに盗られていいのか!」とい

うことになり、NHKでもレギュラー番組を持つことになったのが「お笑い三人組」でした。


「お笑い三人組」は、当初、ラジオ番組として始まり、昼の12時から東京で「三人組」、大阪では「松竹新喜

劇」を放送し、聴取率の良い方を夜8時台に全国放送するということになったそうです。「三人組」はまもなく、

今でいうゴールデンタイムへと移り、「評判がいいから」とテレビ放送も決まりました。


この3人組が抜けた後の「青春カレンダー」はどうなったかというと、「新しい三人組を作ろう」と、浅草で腕を

磨いていた由利 徹、八波むと志、南 利明の3人が「脱線トリオ」を結成し、見事に人気を保ったそうです。

なお、小金馬たちは、永六輔からずっと「この裏切り者!」と笑顔で叱られたそうです。


初めの「お笑い三人組」の役柄は、「3人とも役者じゃないから難しい役はダメ。それよりも、どこにでもいそう

な、ごく普通の若者がいい」と、三遊亭小金馬は酒屋の金ちゃん、一龍斎貞鳳が保険屋のヨッちゃん、江戸

家猫八は何でも屋の六さん。台本は作家の名和青朗が書き、視聴率が30%を超える大ヒットとなりました。


1959年4月、「お笑い三人組」がマンネリにならないようにと、思い切ってコメディー時代劇「花のお江戸の

三人組」に模様替えをしたところ視聴率が急降下。結局、お江戸版は半年だけで、元の形に戻したら視聴率

も再浮上したそうです。

1959年10月、原点に戻った「お笑い三人組」は、3人の職業も変わりました。三遊亭小金馬は、子供の頃

に母親がやっていた「五銭満腹ホール」“五銭もあれば満腹になる”を売りとしていた食堂をもとに「五十円満

腹ホール」の店主竜ちゃんを、江戸家猫八はクリーニング屋の八ちゃんを、一龍斎貞鳳はニコニコクレジット

の正ちゃんをそれぞれ演じ、「あまから横丁」を舞台に庶民的なコメディーで、1966年3月29日の最終回ま

での10年間を公開生放送で通し続けました。


「お笑い三人組」の放送時間は、毎週火曜日午後8時半からの30分間。前後に「ジェスチャー」(午後7時半

〜8時)、ドラマ「事件記者」(午後9時〜9時半)と看板番組か並ぶ強力ラインアップは、民放から「魔の火曜

日」と恐れられたそうです。


「お笑い三人組」終了後、それぞれの舞台に戻り、三遊亭小金馬は、師匠の「金馬」の名前を継いで落語に

専念。江戸家猫八は、寄席で絶品のウグイスを鳴き、「鬼平犯科帳」の彦十役など喜劇以外のドラマでも活

躍。一龍斎貞鳳は、1971年に自民党から参議院全国区に立候補して初当選。「これからは『ちゃん』付け

じゃなく『先生』と呼びなさい」と小金馬たちに冗談で威張っていたそうです。小金馬は「先生でも何でもいい

から、講談だけは続けろよ」と何度も言ったそうですが、貞鳳は「政治と演芸の兼業は無責任だ」と言ってや

めてしまったそうです。小金馬は「講談界にとっては計り知れない損失です」と2016年5月読売新聞の連載

「時代の証言者」の中で、当時のことを振り返っています。


テレビ草創期、手探りで始めた「お笑い三人組」の10年間は試行錯誤の連続だったそうですが、「俺たちが

テレビのコメディー番組のスタンダードを作っているんだ」という気概のようなものがあったそうです。


なお、「お笑い三人組」は、1958年には映画化され、1959年には日劇の舞台にもなりました。

(文:読売新聞、「時代の証言者」三遊亭金馬より抜粋)

 

戻 る
inserted by FC2 system