てなもんや三度笠

 

   てなもんや三度笠

1962年5月〜1968年3月まで朝日放送が制作した喜劇番組で、前田製菓の提供により全309回

TBS系で放送されました。沓掛時次郎のパロディで“あんかけの時次郎”に扮する藤田まこと、相棒の

小坊主“珍念”に扮する白木みのるのほか、財津一郎、南 利明、伴 淳三郎、堺 駿二らの関西喜劇人が

一堂に会してドタバタ時代劇を展開し一躍お茶の間の人気番組となり最高視聴率は大阪では64.8%、

東京は42.9%と、藤田まことの出世作となって様々な流行語も生み出されました。


劇中で「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」と商品をふところから出しながらコマーシャ

ルを言う藤田まことのフレーズが受け“あたり前田のクラッカー”が子供達の間で大いに流行りました。

また財津一郎の「非常〜に・・キビシ〜ッ」や「許して・・・チョーダイ!」など様々な流行語が生み出

され、まさに一世を風靡した大ヒット番組となりました。


今の若い人には、テレビコマーシャルの“タケモトピアノ”で「ピアノ売ってチョーダイ!・電話してチ

ョーダイ!・そのトオ〜リ」と歌っている人と言えば財津一郎が分かるかもしれませんね。

タケモトピアノは、中古ピアノを買い取り、修理して海外に100%輸出している会社ですが、このコマ

ーシャル以前に6本あったそうですが、すべて効果上がらず、最後に社運をかけ起死回生を狙ったのがこ

のコマーシャルだったそうです。2000年に流し始めたコマーシャルはヒットし長年に亘り親しまれ、

今では知らない人がいないくらい有名な会社に成長しています。

途中で若い人達を使ったコマーシャルに変えようかとの話もあったそうですが、創業者の竹本功一会長(

当時は社長)が財津一郎ファンでそのまま継続していることも会社成長の一要因のようです。


藤田まことの父親は、無声映画時代のスター藤間林太郎で、その林太郎が所属していた一座に藤田まこと

は高校中退後雑用係として参加し17歳の時に一座の歌謡ショー公演で「旅笠道中」を歌ったのが初舞台

でした。やがて舞台役者としても活動しましたが、19歳の時に歌手を志して上京し、ディック・ミネの

カバン持ちをしながら前座の歌手として修行を積みました。


その後、日本マーキュリーレコード所属の歌手の地方巡業に前座歌手として参加していましたが、ある時

病気になった司会者の代役を務めたのを切っ掛けに、巡業の司会者としても活動するようになりました。

しかし、藤田の埋もれた才能を評価した田中ダイマル・ラケットの助言により、それまでの司会の仕事を

やめ、俳優としてダイマル・ラケット劇団に入団。24歳の時、コメディー時代劇「ダイラケのびっくり

捕物帖」で初めてテレビ番組に端役として出演しました。


びっくり捕物帖終了後、新たに企画された「スチャラカ社員」にも藤田は出演。そしてコメディアンとし

ての持ち味を発揮し芸風を急成長させた藤田に初の主役の座が用意されたのが「てなもんや三度笠」でし

た。

「てなもんや三度笠」は、藤田まこと演じる渡世人あんかけの時次郎、喧嘩は弱いがハッタリをきかすの

はうまい、顔が長いことから馬呼ばわりされる時次郎と、白木みのる演じる口八丁・手八丁のインチキ説

法が十八番の小坊主・珍念のコンビが、江戸を目指しての珍道中。旅先で色々な人や事件に遭遇しながら

爆笑騒動を繰り広げてゆく公開コメディー時代喜劇です。


 

戻 る
inserted by FC2 system