鉄腕アトム

 

 鉄腕アトム

「鉄腕アトム」は、1951年4月から1952年3月まで月刊漫画雑誌「少年」に連載された『アトム大使』が前身

です。『アトム大使』に、登場人物のひとりとして脇役で出ていたロボット少年アトムを主人公にして、新たに連

載を始めたのが、この「鉄腕アトム」で1952年4月より1968年3月までの16年間人気を博し、手塚治虫の

全作品の中で、もっとも有名な作品となりました。

 
さらに1963年1月からは、手塚治虫が設立した虫プロダクション(自宅隣の敷地で設立)の商業アニメ第1号

として、毎週30分のテレビアニメ「鉄腕アトム」の放映が始まり初回視聴率27.4%、4話目には30%を超え

最高視聴率は40.7%に達し放映期間4年、全193話に及びました

後日、このテレビアニメ「鉄腕アトム」第一回放送の感想を手塚は自著「ぼくはマンガ家」でこう書き記してい

ます「このときの感慨は、終生忘れることはないだろう。わが子がテレビに出演しているのを、ハラハラと見守

る親の気持ちだった。」

このアニメ版は、日本最初のテレビアニメシリーズとして、当時の子供らの心をとらえ大ヒットしたことにより、

日本の第1次テレビアニメブームのきっかけをつくりました。


また、同じ年の1963年秋にはアメリカでも「ASTRO BOY」として全米ネットで放映され子供たちの人気を

得ましたが、惜しむらくは、この「ASTRO BOY」の漫画本が同時に出版されるも、体裁がまるきりアメリカン

コミックスの形を取っていて、読者(視聴者も)がこの原作者が日本人だと思うことはまるで無かったということ

です。しかし、アメリカでの放映が開始されたのを皮切りに、これまでになんと世界の70か国で放映され大好

評となりました。


ストーリーは、21世紀の未来を舞台に10万馬力のロボット少年・アトムが活躍するSFヒーローマンガです。

2003年4月7日、科学省長官・天馬博士は、交通事故で死んだひとり息子・飛雄(とびお)にそっくりのロボッ

トを、科学省の総力を結集して作りあげました。  天馬博士はそのロボットを息子のように愛しましたが、やが

て成長しないことに腹を立て、そのロボットをロボットサーカスに売り飛ばしてしまいます。

サーカスでアトムと名づけられたロボットは、そこで働かされていましたが、新しく科学省長官になったお茶の

水博士の努力で、ロボットにも人権が認められるようになり、アトムはようやく自由の身となったのです。

アトムは、お茶の水博士によってつくられたロボットの両親といっしょに郊外の家で暮らし、お茶の水小学校

へ通うことになりました。  けれどもひとたび事件が起これば、アトムはその10万馬力のパワーで、敢然と悪

に立ち向かっていくのです。 (ストーリー、TE ZUKA OSAMU@WORLDより抜粋)


手塚治虫の「鉄腕アトム」も、横山光輝の「鉄人28号」も共に始めは主人公でなかったものが、主人公となり

大ヒットすることになるとは不思議なのもですね。

 

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