快傑ハリマオ 原作は直木賞作家・山田克郎の「魔の城」で1956年、日本経済新聞夕刊に連載された小説です。タイトル を「快傑ハリマオ」としテレビで1960年4月〜1961年6月まで第1部から第5部の全65回、日本テ レビで放映されました。主演には、新劇の俳優で、舞台・映画・テレビの経験をもつ勝木敏之27才を抜擢。
大竹タモツ、キャプテンK・K(第1部)片足ブラック(第3部)オスカ(第5部)/牧冬吉、タドン小僧/ 崎坂謙二、ドンゴロスの松/中原謙二、コバール長官/ヘンリコ・ロッシーニ、タウジール大佐/カールケテ ル、グレコ/アルバート・ゴーベル、太郎の父/斉藤清末、署長/寄山 弘、船頭/甲斐矢助、秋江/八島圭 子、トウチミン/加藤精三、万次郎/佐藤一郎、メジャル/起田志郎、マイヤー/高杉佳子、他。
蒙の虎」、第5部「風雲のパゴダ」の全5部作で、第2部以降はオリジナルストーリーです。
トラとして出演。外人タレントも多数起用。その壮大なスケールは国内で撮影したとは思えないほどの迫力が あります。第3部アラフラの真珠では、日本初の海外ロケ(カンボジアのアンコールワット中心)を敢行し、 大好評を博して第5部まで延長されました。
のほか同じスタッフで取り組んだ冒険活劇ですが、本作は宣弘社第3弾として更に力を入れ、日本初のカラー テレビ映画としてスタートしました。しかし、当時のテレビ受像機は殆どが白黒で、カラーテレビの普及率は 少なく、結局カラーは全65回中の第1回〜第5回迄で、その後は白黒での放送となっています。
のスタートでしたが、昭和30年当時のカラーテレビ受像機は約40万円と高価で、なおかつ画面が暗いなど といった欠点があったため1960年代前半の普及率は低く、ほとんどが白黒テレビでした。 カラーテレビが一般家庭に浸透し始めたのは、1968年(昭和43年)に7%に過ぎなかった普及率が、そ の後の技術革新により、5年後の1973年(昭和48年)には一挙に78%まで跳ね上がり、白黒テレビの 普及率を抜き、1975年(昭和50年)には91%と殆どの家庭にカラーテレビが備わりました。
マガジン」で1年間連載されました。この連載は石ノ森章太郎21才の時で、映画監督になるための資金稼ぎ として引き受けたもので、これが漫画家としての最後の仕事になる予定だったそうですが、テレビ製作の「快 傑ハリマオ」と同じ月にスタートしたこともあり、テレビのブームにも乗り漫画もヒット作品となりました。 このヒットにより、その後も漫画家としての活動が続き、このときの「快傑ハリマオ」が石ノ森章太郎の初期 代表作の一つとなり、漫画家“石ノ森章太郎”誕生の切っ掛けの作品となりました。 |