矢車剣之助

 

 矢車剣之助

「矢車剣之助」は堀江 卓の原作による漫画で、月刊漫画雑誌「少年」に1957年7月(8月号)より連載され同年、

荒井岱志監督により映画化。その後漫画は1961年11月(12月号)まで続きました。


テレビでも漫画の人気を買われ、同 堀江 卓の原作で日本電波映画社の制作により1959年5月〜1961年2月

まで全96回、日本テレビで放映され30%近い視聴率を上げ好評を博しました。


主役には、1958年に映画「怒りの孤島」で俳優デビューした手塚茂夫、当時17歳(のちに人気アイドルグループ

のスリーファンキーズに加入)を抜擢。

また、このテレビ時代劇に五月みどり当時19歳が出演しています。


テレビドラマ「矢車剣之助」はニチバンの提供により放送されたのが、なぜか鮮明に記憶に残っています。今では、

このニチバンのセロテープは接着テープの代名詞となっていますが、開発されたのは1930年アメリカの3M社の

商品「スコッチテープ」が始まりだそうです。

第二次世界大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は検閲後の私信を再び封かんする際、アメリカから調達したセロ

ハン粘着テープを使っていましたが、輸入が遅れたため品不足に陥り、日本製のテープを使う必要が生じました。

このとき製造依頼を受けたのが「ニチバン」の前身「日絆工業」でした。ばんそうこう製造大手としての技術力を生

かし、約1ヶ月で完成し納入にこぎつけたそうです。GHQの将校たちは短期間に製造された良品質の商品をみて

ニチバンの技術力の素晴らしさに驚嘆したと言われています。

1948年6月には「セロテープ」という名称で一般販売を開始、一般家庭はもとより教育現場や会社まで広く普及

していきましたが、特に知名度を上げたのは、このテレビドラマ「矢車剣之助」のCMの宣伝効果が絶大で、子供

を通じてセロテープを家庭へ浸透させるという戦略が大きく功を奏しました。

そうして、CMで流した「日絆(ニチバン)のセロテープ」の知名度効果を、その後も継続すべく、このテレビドラマ

矢車剣之助」の終了間際1ヶ月前に社名を日絆薬品工業株式会社からニチバン株式会社に改称しました。

また、商品名「セロテープ」は、今ではニチバンの商標登録された固有名詞ということは一般に知られています。

なお、他社の商品は「セロハン粘着テープ」と言わなければならないそうです。

誕生から60年近くになる現在、セロテープの累計販売量は12mm幅テープに換算して1億3千万kmにもなる

そうで、地球と月を169回も往復できる計算だそうです。これまで幾多の変遷があったようですが、このときのテ

レビドラマを追い風に矢車のようにその後も回り続けてきた結果ではないでしょうか。


出演、矢車剣之助/手塚茂夫、八重/小鳩みはる、池田大助/小林重四郎、白木十方斎/江藤 勇、宮本五

右衛門/園部 昭、松村主水之介/有馬新二、他/今橋 恒、稲吉 靖、木南 清、赤羽 茂、小島一馬、渡 

真二、立川雄三、高見まゆみ、汐見 洋、阪東要二郎、花柳とより、泉 信子、五月みどり、千葉隆三、朝霧鏡子、

筑紫梨枝、美川洋一郎、大川太郎、阿部寿美子、植松美江子、他。


江戸南町奉行大岡越前守の密命をおびて、矢車剣之助が黒覆面をかぶり“夜の帝王”と名乗り、徳川幕府に敵

対する風魔一族と戦う。矢車剣之助は秘剣の使い手で、矢車斬り、片手矢車、みだれ矢車、車返しなどをつかい、

愛馬「ゴロー」にまたがり拳銃を連発して悪人をやっつける少年剣士。

 

当時子供に配られた鉢巻お面

 

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