西遊記

 

  西遊記 

アニメ「西遊記」の原案は、手塚治虫の「ぼくの孫悟空」です。「ぼくの孫悟空」は1952年2月〜

1959年3月まで、月刊漫画雑誌「漫画王」にて7年2カ月という長期連載され人気を集めました。


この連載を始めた時期の手塚治虫は「ジャングル大帝」「サボテン君」「アトム大使」「リボンの騎士

」ほか、数多くの連載を抱える人気漫画作家となっており、作品は殆どの漫画誌で掲載されるようにな

っていました。


「ぼくの孫悟空」の映画化ですが、キャラクターは、映画用のオリジナルで手塚治虫は原作と構成のみ

を担当しているだけで、実際の絵作りにはまだ関わっていません。手塚治虫は物語のラストを孫悟空の

恋人の死、という悲劇的なものにしたいと考えていました。

しかし、制作した東映動画スタジオが考えていたのは、あくまでも「子供たちを楽しませるため」の「

ハッピーエンド」でした。映画はハッピーエンドとして完成し、そのことがここからはじまる手塚治虫

の「アニメ作家」としての人生に「自分が表現したいことを表現するためには、自分の金で作らなけれ

ば駄目だ」という教訓を与えたようです。この経験を生かし、のちに虫プロダクションを設立し、19

67年、虫プロダクションにてTVアニメシリーズ「悟空の大冒険」がスタート。大人気作品「鉄腕ア

トム」(1966年12月31日終了)の後番組(翌年1月7日開始)というだけでも、そのアニメ化

に対する期待度がうかがえます。しかし、この番組放映は、それほど人気を獲得できず9カ月で終了し

てしまいました。


さて、東映動画スタジオの長編
アニメ映画、第3作目「西遊記」ですが、1960年8月劇場公開され

人気を博し、ベニス国際児童映画祭特別大賞を受賞し高い評価を受け、世界数10カ国に輸出されて、

「西遊記」がアジア以外の世界各国に広く知られるきっかけになりました。


あらすじは、
石の中から生まれた石猿、もちまえの勇敢さを発揮して猿のボスになった。が、何か物足

りない。この世の中には猿よりえらい人間というのがいるという。よし、それならというので一念発起

、仙術の修業に出た。首尾よく仙人に弟子入りして修業にはげみ極意書をさずけられて、孫悟空と名の

る。はるばる訪ねてきた幼なじみのリンリンに仙術の腕を見せたくて、天界をさわがせ、二郎真君に追

われ、あげくのはては、お釈迦様によって五行山に封じ込められてしまう。

リンリンの運んでくれる木の実でわずかに露命をつなぐ悟空であったが、観音様のはからいで、天竺に

経文をとりに行く三蔵法師のお供をすることになった。途中、ブタの化け物猪八戒、人喰いの沙悟浄を

降参させて供に加え、一行は天竺へと砂漠を越えて旅を続ける。

火炎山まで来たとき、噴火が始まり一行は溶岩流にとりかこまれてしまった。このままでは危ない。こ

の危機を脱する方法は唯一つ、牛魔王の妻君ラセツ女が預かって持っている芭蕉扇を使うしかない。さ

っそく悟空と八戒が出かけ、ラセツをだまして首尾よく手に入れるが、牛魔王の子分、小竜に奪われて

しまった。小竜はほうびが欲しかったのだ。

その間に、師匠の三蔵法師は牛魔王にさらわれてしまっていた。牛魔王は三蔵法師を食って、三千年の

命を得ようとしていたのである。その大宴会の場へ、悟空、八戒、沙悟浄の三人が乗り込んで大暴れ、

悟空は牛魔王と対決して、怒って牛の正体をあらわした牛魔王を火炎山の噴火口に屠(ほふ)った。

任務を果たした悟空は、リンリンの待つ水簾洞へと駆け戻る。

(あらすじ、TOEI ANIMATIONより抜粋)

 

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