月光仮面

 

  月光仮面

川内康範原作の冒険活劇で、宣弘社が製作し1958年2月〜1959年7月まで第1部〜第5部の全130回

を現・TBSで放映されました。第1部は1回10分で週6回の放送(全71回)でしたが、人気が出たため、

第2部以降は、週1回30分放送となりました。


出演、祝十郎(月光仮面)/大瀬康一、袋五郎八/久野四郎(第1部)・谷 幹一(第2部以降)、どくろ仮面

・サタンの爪/武藤英司、カポ子/宇野よし子(第1部)・日輪マコ(第2部)・久里千春(第4部)・布地由

紀江(第5部)繁/日吉としやす、木の実/猿若久美恵(第1・2部)・山田のり子(第3部以降)、松田部長

刑事/千葉隆三、山本記者/大塚周夫(第1・2部)・花田京介(第4部)・田中邦明(第5部)、他。


日本初の連続テレビ用映画で、当初の企画では時代劇を製作しようとしましたが予算的に不可能であったため、

鞍馬天狗をベースにした現代活劇に変更し、原作を川内康範に依頼しました。

川内は、人々の危機にさっそうと現れる「踊る仮面」を提案し、プロデューサーは、「人々の苦難を救済する」

菩薩をイメージしたネーミングから、月光菩薩の月光の名を取り入れ「月光仮面」となります。

製作は当初、東映にもちかけましたが低予算なため断わられ、やむを得ず、企画だけを担当するはずだった宣弘

社が製作も手掛けることになりました。

スタッフ、キャストとも製作費を抑えるために無名の若者が集められ、監督の船床貞男は東映の助監督、主演の

大瀬康一も当時は東映の大部屋俳優で5人の候補の中より選ばれました。

予算不足のため用意できたのは旧式のゼンマイ駆動式カメラで、1カット最長28秒という状況でしたが、船床

監督は逆にそれを生かしたスピーディーなカット割りを作り上げました。


小川寛興作曲の主題歌「月光仮面は誰でしょう」とともに子供たちの圧倒的な支持を受け、平均視聴率は40%

、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録し、放送時間になると、銭湯から子供たちの姿が消えるとも言われ

、子供たちの遊びも月光仮面ごっこが大流行り。ところが一方でこの遊びで塀や木などの高所より飛び降り怪我

人が出るとの批判も高まります。すると製作チームは、月光仮面は、あくまでもヒーローのまま終わらせたいと

1年5ヶ月で完結。まさに、疾風のように去って行きました。(最終回の東京地区の視聴率は42.2%でした)


「月光仮面」の後番組は「豹(ジャガー)の眼」で、「月光仮面」の成功が、その後の「豹の眼」「快傑ハリマ

オ」「隠密剣士」へと引き継がれることになります。

 

戻 る
inserted by FC2 system