風小僧  第1部

 

風小僧  第2部

 

  風小僧

東映のテレビ作品第1作目で、北村寿夫の原案により1959年2月〜1959年12月までの全48話

を、現・日本テレビで放映し人気番組となりました。

48話の構成は、第1話〜第13話までの少年時代を描いた第1部と、第14話〜第48話までの成人後

を描いた第2部で構成されており、これは少年時代の主役を演じた目黒ユウキ(現、目黒祐樹)が、中学

進学のため13話で降板。それまで風小僧の師匠役(上から2段目左端めんこ写真)を演じていた山城新

伍が好評のため成長した姿という設定で、第2部14話から2代目風小僧役を演じることになりました。


目黒祐樹は、父で時代劇俳優の近衛十四郎(本名:目黒寅彦)の影響により幼少の頃から映画に出演して

いましたが、この「風小僧」第1部主演を最後に学業に専念する事となり高校・大学と進学しました。

その後、1969年22才の年に、松竹映画の「太陽の野郎ども」に主演し本格的に俳優としての活動を

開始、同年製作の松竹映画「栄光の黒豹」では、後に妻となる江夏夕子と共演。以降、ジャンルを問わず

数多くの映画やテレビドラマに出演しています。また、2010年には映画「獄に咲く花」で娘の女優・

近衛はなと共演しました。この映画作成のインタビューで、娘の近衛はなは「父との共演は本当に得難く

すごく幸せなこと」と答えています。このインタビューから、父親目黒祐樹に対する娘の尊敬する素直な

気持ちが伝わって来ました。


山城新伍は開業医の家に生まれ、医師を志し医大を受験するも合格ならず医師の道を断念、1957年に

時代劇スターに憧れて東映ニューフェース第4期に応募し入社。

同期生には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子などがいます。1958年に映画

「台風」でデビューし、この「風小僧」は翌年21才の時の初時代劇出演でしたが幸運にも続編(第2部)

で憧れの主役の座を獲得しました。それまで若干のエキストラ経験があったものの殆ど下積み時代が無く

あっと言う間の主役の抜擢でした。苦もなく手に入れた憧れのスターの座がその後の人生や言動にも影響

を与えたのかも知れません。

車に花園ひろみを同乗させ湖に突っ込み「結婚してくれないとこのまま死ぬ」と結婚を迫ったほど愛して

いた妻の花園ひろみとは2度の結婚と離婚を繰り返し、娘で女優の南夕花からは絶縁状を突き付けられた

との話も残っています。晩年は老人ホームに入居し、一度も訪れなかった元妻と娘を恨みつつ、遺言にも

「葬儀への参列を拒否する」と遺して嚥下(えんげ)障害による肺炎で逝去されました。(享年70才)


「風小僧」の主役を共に演じた目黒祐樹と山城新伍ですが、後年は対照的な人生だったようです。


出演、風の小六(風小僧)/目黒ユウキ、14話から山城新伍、星影疾風之介/山城新伍、旭上人/水野

浩、鬼頭一角/小田部通麿、鏑木氏勝/沢田清、お秋/鳳衣子、桂左源太/五味勝之介、煙丸/古石孝明

、弓木万作/堀正夫、お濃の方/若水美子、大鷲玄馬/近江雄二郎、定玄/伊吹幾太郎、百姓/宮本武夫

、一休/香住佐久良夫、犬塚陣九郎/南方英二、火車軍太夫/五里兵太郎、玉緒/光美知子、上月左門(

家老)/團徳麿、文太/山本順大、自余坊/青柳龍太郎(坂東勝太郎)、正作/目方誠、お由良/松風利

栄子、百姓しの/京町かほる、他


第1部は、奥州煙ヶ獄城の城主・鈴木氏勝が元家臣の煙丸に謀殺され、煙ヶ獄城を煙丸に乗っ取られてし

まいます。氏勝の子・小六(目黒祐樹)は、鳥や動物たちと会話が出来る能力を持った少年で、煙ヶ獄城

再興のため、星影疾風之介(山城新伍)から風を自由に操る風神の術を学びます。

そうして小六は風小僧として風神の術を使いながら、お家再興を図るため、巨万の財宝の有りかを秘めた

白鳥の珠をめぐって悪人と闘います。


第2部は、いわきの国の殿様でありながら家老に知れないように城を抜け出し浪人に身を変え、城下では

風小僧となって風神の術や山彦剣法を使い悪人を懲らしめるという内容になっており、また、風に乗って

空を飛ぶこともできます。

第1部と第2部のストーリーには繋がりはありませんが“風小僧が風神の術を使い悪人と闘う”というと

ころは同じです。

また、テレビ放映終了後の1960年には好評により、山城新伍・主演で、映画「風小僧・風雲虹ヶ谷」

「風小僧・風流河童剣」「風小僧・流星剣の舞」の全3作が新たに作られました。


その他にも、テレビ版の「風小僧」第2部を再編集して、映画館で全23本が風小僧シリーズとして上映

されています。

この年1960年は、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が「3種の神器」と呼ばれだした年で、一般家庭の理想の

家電として注目を浴びるようになった年でもありました。

テレビの普及率は、この1960年には約45%とまだ低く、東映のテレビ作品第一作目の「風小僧」を

映画上映しても十分観客が集まる時代だったようです。


テレビの普及は、翌年の1961年には約63%、翌々年は約79%となり、その次の年には約90%に

達し、以降、ほぼ一般家庭に浸透して行くことになりました。この背景には大量生産によるコストダウン

や所得の向上が要因として挙げられ、テレビ同様「3種の神器」の冷蔵庫や洗濯機も急速に普及して行き

ました。

1953年当時は、サラリーマンの平均月給が3万円の時代に、テレビの価格は約30万円もしており、

高価な物として一般家庭にはとても手に入れることができない物でしたが、その後の経済成長で、庶民の

夢が叶う時代へと移って行きました。

1960年の、東映テレビ版「風小僧」23本の“映画上映”は、この流れの中で絶妙なタイミングでの

企画制作だったようにも思えます。

 

戻 る
inserted by FC2 system