スーパージャイアンツ 新東宝が1957年〜1959年に製作した日本初の特撮スーパーヒーロー映画、シリーズは全6話9部 構成で、すべて劇場公開されました。この作品は特に舞台美術などに優れており屈指の傑作とも云われて おります。 主演は、宇津井 健で、主人公の宇宙人スーパージャイアンツを9部通して演じました。(25〜27才 当時)監督は、第1部から第6部までを石井輝男、第7部を三輪 彰、第8部と第9部は赤坂長義です。
そうです。この条件に適任者がなかなか居らず、宇津井 健は大学時代に馬術部に所属しており、運よく 抜擢され採用となったようです。翌1954年に新東宝に入社し、若手スターとして活躍。以降、長年に 亘る映画界での主演作品は100本以上で、また、テレビドラマ作品にも多数出演し「ザ・ガードマン」 「赤いシリーズ」「さすらい刑事旅情編」などの代表作があり60年近く第一線で活躍しました。
飲酒も止めています。また、一時は米も食べずタンパク質をとるのを制限していたそうです。テレビ通販 の健康グッズやマシーンを購入し自宅にはトレーニングルームもあり、ドラマの収録の合間には持参した 鉄アレイで体を鍛えていたそうです。
の器は大きい」だったそうです、また「役者は常に死ぬまで人に教わるもので、進歩しない役者は意味の ない存在だ」とも述べています。
ャンになったそうですが、2006年4月、長年連れ添った妻が亡くなり、この死去当日も仕事がありま したが普段通りの様子でラジオやドラマ「渡る世間は鬼ばかり」をこなし、関係者はプロフェッショナル を感じ頭が下がる思いだったと語っています。
82才。
提出。この女性は宇津井 健の体調が悪化した約1年前から献身的に支えており、宇津井 健は死の約2週 間前にプロポーズしたとのことでした。再婚相手は、名古屋で政財界の著名人や芸能人も通う高級クラブ やスポーツクラブを経営する実業家で80歳の女性。エッセー出版や映画出演の経験もあり、宇津井 健 が亡くなったのもこの女性の自宅だったそうです。
て以降、客としてクラブに通うようになり、2012年には、ハワイ旅行をするなどパートナーのような 存在で、宇津井 健の長男ら親族も再婚に納得していたようです。 2014年3月17日の告別式では、宇津井 健の希望通りその女性が喪主を務め、親族代表として挨拶 したそうです。
宇津井 健の生き方の一端を見る思いがしました。
、第4部「地球滅亡寸前」、第5部「人工衛生と人類の破滅」、第6部「宇宙艇と人工衛星の激突」、 第7部「宇宙怪人出現」、第8部「悪魔の化身」、第9部「毒蛾王国」
矢歌子、林 寛、池田輝久、館正三郎、中村 彰、大原譲二、明日香 実、瀬戸麗子、他。
でテレビ放映が始まり、その翌年から製作されたのがこの「スーパージャイアンツ」シリーズで、アメリ カの「スーパーマン」を意識して作られたと思われますが、このシリーズの4作品は、アメリカにも輸出 され、「スターマン」としてテレビ放映されました。
星の世界は地球を除く宇宙の連邦会議により、原水爆実験を中止させるべく一人の宇宙人を平和の使者と して地球に送った。彼の名は、エメラルド彗星から派遣され正義の宇宙人スーパージャイアンツ。空中を 自由に飛ぶことができ、世界各国の言葉がわかる万能時計型装置を身に付けた彼の前に、ウラニウムを使 って悪事を働こうとするアトムAB団や、宇宙からの地球支配をもくろむ怪星人、そして人工衛星による 人類滅亡を計画する秘密国家が次々と立ちふさがる。 スーパージャイアンツは、地球の平和を乱す悪に対して敢然と戦いを挑み、悪事を働く者達を粉砕して行 きます。彼の能力は、弾丸よりも速く、鋼鉄よりも強い体をもった正義の超人で宇宙の平和のために戦う スーパーヒーローです。
ジャイアンツ」をそれぞれ描いてますが、その中でも吉田竜夫・画による「スーパージャイアンツ」は、 月刊漫画雑誌「ぼくら」に1958年〜1960年まで長期間連載されました。
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