若ノ花物語 土俵の鬼

 

  若ノ花物語 土俵の鬼

初代若ノ花が自ら主演した伝記映画で、日活の製作により1956年12月27日劇場公開されました。

当時、子供たちに絶大な人気があった大関時代の若ノ花の半生を映画化したもので、若ノ花の青年時代を

青山恭二が演じ、入幕後からは若乃花自身が登場します。稽古場面や本場所の実写映像も挿入され、見ご

たえのある映像に仕上がっているようです。


出演、
若ノ花勝治/若ノ花(大関本人)、若ノ花の青年時代/青山恭二、若ノ花香代子(勝治の妻)/北

原三枝、若ノ花勝雄(勝治の長男)/小田野高久、花田宇一郎(勝治の父)/澤村國太郎、花田きえ(勝

治の母)/田中筆子、横手大五郎(横手山)/衣笠一夫、横手の青年時代/吉田光男、横手の妻/若原初

子、花籠親方(元大ノ海)/坂東好太郎、花籠親方の妻/広岡三栄子、香代子の母/菊野明子、峰ノ越未

亡人/新井麗子、男岩(元力士)/天草四郎、淀ノ海(元力士)/相原巨典、小橋老人/冬木京三、看護

婦/高 友子、新聞記者/弘松三郎、昭錦/黒田 剛、アナウンサー/志村正順、勝治の弟/若 緑、勝

治の妹/津田朝子、他。


あらすじ

昭和二十一年、北海道室蘭市で沖仲士をしていた花田勝治は、二所ノ関部屋の大ノ海に見込まれ相撲界に

入った。一家の大黒柱である勝治は七人の弟妹を抱え一たんは断ったのだが、母きえの理解は遂に勝治の

希望を満した。二所ノ関部屋の稽古は凄じかったが、若ノ花の四股名を貰った勝治は精進を続け、二十五

年には早くも入幕、初場所で敢闘賞を得た。その頃、大ノ海は独立して花籠部屋を設立したが、ある日、

若ノ花は大ノ海の泊っている峰ノ越旅館を訪れ、そこで峰ノ越未亡人の姪の香代子と知り合った。やがて

二人は皆の祝福のうちに結婚、その後も若ノ花は躍進を続け、二十九年関脇、三十一年大関、その夏場所

には宿願の優勝杯を手にした。香代子との間に一子勝雄をもうけ、若ノ花は幸福の絶頂にあった。ところ

が、勝雄が不意の事故で死んだ。愛児の死は若ノ花に大きな打撃を与えた。絶望の若ノ花は秋場所を前に

、家に閉じこもり珠数を首に瞑目を続け、土俵に上る気もないようであった。遂に初日が来た。仏壇の前

に坐り込んだ若ノ花の前には、ファンの激励の手紙が山と積まれていた。その中に、ふと若ノ花は苦労を

共にした相弟子の横手山の手紙を見つけた。封を切ると中から横手山の子供の手紙が現れた。「勝雄ちゃ

んのお父さん必ず勝って下さい」という、たどたどしい手紙に若ノ花は敢然立上った。土俵に上った若ノ

花の働きは目覚しく、連日白星を重ねた。だが十三勝をあげ横綱を目前にした若ノ花に再び悲運が見まい

、彼は高熱に倒れた。大ノ海は涙を呑んで休場届を出した。数日後、活気の溢れる花籠部屋に、若ノ花は

力強く四股を踏む。顔に来場所への闘志を漲らせて。

(あらすじ、goo 映画より抜粋)


若ノ花はこの映画が撮影された1956年の5月夏場所に12勝3敗で初優勝しましたが、横綱をかけた

同年9月秋場所前に長男がちゃんこ鍋をかぶって火傷で亡くなるという悲運に見舞われ、秋場所後の映画

撮影では息子の死を自ら再現することになってしまいました。それから2年後の3月春場所に30歳で横

綱となり、横綱通算成績254勝66敗1分、通算10回の優勝を成し遂げ惜しまれながらも1962年

5月、34歳で引退しました。


上記掲載めんこは、当時の映画館で子供たちに配られた大関時代の物と思われますが詳細については分か

りません。めんこの裏面には、「頑張れ!僕等の若ノ花 !!」、「明日の横綱待ってるぞ !!」と印刷され

ています。いかに人気が高かったかが分かります。


当時は、お正月映画全盛で、この年の日活のお正月映画は、第1週、1956年12月27日〜「若ノ花

物語、土俵の鬼」、「人間魚雷出撃す」(出演:石原裕次郎、葉山良二、長門裕之)。 第2週、195

7年1月3日〜「川上哲治物語、背番号16」(同めんこコーナー参照)、「お転婆三人姉妹、踊る太陽

」(芦川いずみ、浅丘ルリ子、石原裕次郎)。 第3週、1957年1月10日〜「哀愁の園」(南田洋

子、葉山良二、芦川いずみ)、「浮草の宿」(春日八郎、二谷英明、安部 徹)となっており、昔の映画

は2本立てが一般的でした。翌年からは、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」が上映され、以降、石原裕次郎の

お正月映画が定番化して行きます。


 

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