わんぱく王子の大蛇退治

 

  わんぱく王子の大蛇退治

東映動画スタジオの長編アニメ映画第6作目「わんぱく王子の大蛇退治」は1963年3月に劇場公開

され、アメリカでも1964年に「The Little Prince and The Eight-Headed Dragon」の題名で公開

されました。

この作品は国内外で評価が高く、国内では「毎日映画コンクール、大藤信郎賞」を受賞し、海外では

「ベニス国際映画祭児童映画部門、青銅賞」を受賞しました。

出雲神話を題材にした本作では、作画の絵柄統一を図るための作画監督制度が初めて採用され、様式化

された美しい画面に統一のとれた動きなどによって描きだされた画像は本格的な長編アニメ映画として

大成功を収めました。

この作品の製作費は7千万円、スタッフ180名と、これまでの東映動画製作による長編アニメ映画に

比べ、かなりの力の入れようで作画枚数25万枚、絵の具1トンを使用したそうです。

また、大塚康生と月岡貞夫が半年かけて作画した八叉の大蛇(ヤマタノオロチ)と天早駒(アメノハヤ

コマ)にまたがるスサノオの空中戦は300カット、動画1万枚を超え、この名場面は日本アニメーシ

ョン史上に残る名作として高い評価を受けました。


わんぱく王子の大蛇退治のストーリー>

スサノオのお母さんが死んで黄泉の国へ行ってしまった。が、スサノオにはこのことがどうしても納得

が行かない。そこでその“黄泉の国”が海の向こうだと聞いて、船を作って海に乗り出すことにした。

お供はウサギの赤鼻だ。まず、夜のオス国の兄のツクヨミに会い、ついで、高天原の姉のアマテラスに

会ってお別れを言うことにする。しかし、ツクヨミもアマテラスも、スサノオに母のいる国への道を教

えてはくれなかった。アマテラスのすすめで高天原で働くことにしたスサノオであったが、失敗が重な

って、とうとう追い出されてしまう。

出雲の国へやってきたスサノオは、そこでクシナダ姫に会い、ヤマタノオロチを退治した。かくして、

スサノオの新しい国作りが始まる。(東映アニメーションより)


スサノオ役の声優住田知仁(本名であり旧芸名)は「安寿と厨子王丸」と同じく風間杜夫で13歳の時

でした。

風間杜夫は子役の9歳の時より日本映画史に名を残す名監督の東映作品に多数出演し、小学校5年生の

時には学校にも行かず1年間京都の撮影所に行きっぱなしで、少年雑誌の表紙を飾るほどの売れっ子だ

ったそうですが、中学で一時子役を辞め、その後「風間杜夫」の芸名で銀幕デビューしたのは1972

年の日活ロマンポルノで当時23歳の時でした。

風間杜夫のロマンポルノ時代は1年間に13本も出演し4年間の日活ロマンポルノでは何作出演したか

定かではありませんが、子役時代とロマンポルノでは大きな乖離があったと思われ、そうした変遷が生

き方を強くするもので、その後の映画「蒲田行進曲」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を初め3賞に

輝き名俳優として開花しました。その後は数多くのテレビや映画に出演し、そして幅広く活躍の場を広

げ、舞台では文化庁芸術祭で大賞を受賞し、落語でも高座に上がっているそうです。

掲載文は「ウィキペディア」より一部抜粋。

 

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