忍びの者

 

  忍びの者

「忍びの者」は、小説家 村山知義の原作で1960年11月から1962年5月まで毎週「赤旗日曜版」に連載され、

1962年12月には市川雷蔵主演による映画「忍びの者」が大映京都の製作により劇場公開し大成功を収めま

した。その後、忍びの者はシリーズとして1966年12月までに計8作品が製作されています。


このシリーズの主人公は、第1〜3作までが石川五右衛門。第4・5作が霧隠才蔵、第6作がその子の才蔵二世、

第7作が再び霧隠才蔵、第8作が霞小次郎で、過酷で非人間的な忍者の世界をリアルに描いた時代劇映画シリ

ーズです。

村山知義が、小説「忍びの者」を書いた切っ掛けは、「初めは漠然と戦国時代から何か題材を得たいと思って

いた。芝居の演出の仕事で何度か大阪に行くうち、フト、忍術の根拠地だった伊賀上野へ行って見よう

と思いたった。市役所を尋ねたら、そこに勤務しておられる奥瀬平七郎さんが、忍術の研究家であって

いろいろのことを教えてくださった。そして、一度に忍術に憑かれてしまった。

東京芸術座の文芸部員岡崎柾男君を助手として、再度、伊賀を探訪し、市役所のジープを出して頂き、

奥瀬さんに案内をお願いして、大事なところは殆どみな実地に行って見た。上野市の図書館や、忍術関

係の古書の蒐集で名高い沖森書店で本を見せて頂いた。殊に上野市の図書館からは、門外不出の忍者の

秘伝書「万川集海」の写本を特に東京まで送って頂いて借覧した。その他の参考書も手当たり次第に読ん

だ。足立巻一さんからは、たくさんのノートその他を見せて頂いた。

やや目途が立ったので、戯曲に書こうと志し初めた所へ「アカハタ日曜版」の編集長の樋口さんから、

日曜版に何か面白い歴史小説を書け、というお話があったので戯曲よりも先に小説で書くことにした。

そして一九六〇年の九月四日に第一回十枚をお渡しした。ところがその十二日には、訪中日本新劇団の

団長として羽田を出発せねばならぬ。そこで大いに勉強して十日迄に第七回までの六十枚を書いてお渡

しした。トランクの中には地図類、参考書類、ノート類を入れて、以後二ケ月間、北京、上海、武漢、

広東の各地のホテルで書き次ぎ帰ってからの忙しい中も中絶することなく年を越した。

そのうち、大変評判がいい、というので、いよいよ脂が乗って来たところへ、初めは五十回位というお

約束だったのが、もう少し延ばして、というお話で、ついに七十九回迄続いて、今年の五月に、約八百

枚で一応擱筆した。山本薩夫君が大映で仕事をする第一回作品に、という話があり、高岩肇君のシナリ

オも大変面白く出来、目下、京都の大映撮影所で市川雷蔵の石川五右衛門、伊藤雄之助の百地三太夫と

藤林長門守、西村晃の木猿というような配役で撮影中である」理論社小説国民文庫「忍びの者」62年刊、

後書きより。

村山知義が「忍びの者」を書くに当たって収集調査した忍術の技法はおびただしい数にのぼったと云われ、そうし

た努力が人気作品を創り出し、映画「忍びの者」の大ヒットにも繋がったようです。


「こうして一応、天正伊賀の乱で擱筆をしたものの、当時よそに派遣されていて命を助かった伊賀者や、

この乱では被害者でなかった甲賀の忍者たちのその後のことで書くべきことがまだまだある。ことに石

川五右衛門が信長暗殺の目的を遂げぬうちに本能寺の変があり、脅迫者からも使命からも一切解放され

て自由になった筈だのに、一転して太閤暗殺を志すようになり、失敗して捕えられ、釜ゆでになるまで

の顛末はどうしても書かねばならぬ。小説でも戯曲でも映画でもこれが今後の課題として残っている」

同、後書きより。

こうして執筆は「忍びの者」で一旦終了しましたが、村山知義の後書きのように、その後、姉妹篇五右衛門釜

煎り」が執筆され、映画「続 忍びの者」として上映し石川五右衛門の釜ゆでで終了しました。ところが、こ

の映画も大ヒットとなり、急遽、主人公の石川五右衛門(権力に反逆した下忍として描いている)は、実

は釜に入っておらず替え玉を使って生きていたとして、第3作「新 忍びの者」を製作し劇場公開。 以降、

主人公を変えながら第8作までシリーズは続きました。


監督の山本薩夫は当時、独立プロでの製作を続けていましたが、大映の社長永田雅一が「忍びの者」を製作する

にあたり、山本薩夫の実力を買い大映に呼び寄せ監督を依頼したもので、その後、山本薩夫は「白い巨塔」「華麗

なる一族」「不毛地帯」「あゝ野麦峠」などの監督作品を手掛け巨匠としての地位を不動のものとしました。

但し、この「忍びの者」の映画を監督したのは第2作迄で、精魂を傾け完結したはずの作品が替え玉を使って生

きていたとする、その後の第3作「新 忍びの者」の内容には、ついて行けず監督を降りてしまいました。

村山知義も継続は本意ではなかったと思われますが、この忍びの者シリーズは大映のドル箱となりました。しかし

、その5年後には永田雅一のワンマン経営で大映が破産し倒産の憂き目を見るとは誰しも思いもよらなかった事

ではないでしょうか。

ワンマンも着想やひらめきでチャンスを掴み卓越した指導力を発揮することもあり、決して悪い事ばかりではありま

せんが、周りの意見に耳を傾けることが希薄となり重要な人材が去って行くという欠点も否定できません。私は今

までに職務上かなりの企業倒産を見てきました。


主役の市川雷蔵は、子供の頃より養子を繰り返し名前が3回も変わってます。中学3年の時に学校を退学し歌舞

伎役者になる道を選び15歳で初舞台を踏みました。しかし歌舞伎界の格式に阻まれ、1954年に大阪歌舞伎座

で催された六月大歌舞伎「高野聖」において、台詞がひとつもない白痴の役が割り当てられたことに憤激、かねて

から雷蔵を時代劇のスターとして売り出そうとしていた大映の誘いに応じ、映画俳優に転身しました。

雷蔵は「歌舞伎は年を取ってからでないとだめだが、映画は年を取ったらだめ。若い間、映画で稼いで、年を取っ

たら歌舞伎をやろうと思っているんです」と語りましたが、ご存知のように、その後「眠狂四郎」シリーズなど映画界

で大成するも歌舞伎界へ復帰することなく1968年に37歳の若さで病死しました。


原作:村山知義 主演:市川雷蔵

「忍びの者」 (1962年:モノクロ映画) 監督:山本薩夫 共演:藤村志保、伊藤雄之助、岸田今日子、他

・ 大泥棒として有名な石川五右衛門を忍者と設定し、忍者を権力争いの犠牲者として描いている。


「続 忍びの者」
 (1963年:モノクロ映画) 監督:山本薩夫 共演:藤村志保、城健三朗、坪内ミキ子、他

・ 伊賀の砦をつぶした後も忍者狩りを続ける織田信長。石川五右衛門は徳川方の情報により信長の首を狙う。


「新 忍びの者」 
(1963年:モノクロ映画) 監督:森一生 共演:若尾文子、成田純一郎、北原義郎、他

・ 釜ゆでの刑から徳川方に密かに助け出された石川五右衛門は、秀吉を倒すよう命令される。


「忍びの者 霧隠才蔵」 
(1964年:モノクロ映画) 監督:田中徳三 共演:磯村みどり、城健三朗、他

・ 本作から豊臣方の霧隠才蔵が主人公となり、家康暗殺のために活躍する。


「忍びの者 続・霧隠才蔵」 
(1964年:モノクロ映画) 監督:池広一夫 共演:藤由紀子、藤村志保、他

・ 豊臣方が負けた後、霧隠才蔵は真田幸村を助けて島津家へ落ちのびるのだが……。


「忍びの者 伊賀屋敷」 
(1965年:モノクロ映画) 監督:森一生 共演:八千草薫、山形勲、鈴木瑞穂、他

・ 慶庵の乱を舞台に、徳川幕府転覆を阻止しようとする甲賀忍者と霧隠才蔵の息子の対決を描く。


「忍びの者 新・霧隠才蔵」 (1966年:モノクロ映画) 監督:森一生 共演:藤村志保、楠侑子、他

・ 大阪夏の陣の後、霧隠才蔵たち伊賀忍者は駿府に潜み、家康暗殺を計画していた……。

  徳川方が放った風魔一族との対決を描く。

「新書・忍びの者」 (1966年:モノクロ映画) 監督:池広一夫 共演:安田道代、富士眞奈美、他

・ 最終作。武田信玄と徳川家康の戦いの中、父を殺された忍者・霞小次郎の復讐を描く。


掲載文は「ウィキペディア」「allcinema」他より一部抜粋。

 

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